そしてこの「架空のものをベースにした貸出し」の大部分が不良資産となっていった。
HT銀行の経営破綻を見るまでもなく、今後の展開で明らかなことは、@日本独特の土地本位制が終了し、日本の銀行を中心とした経済メカニズムは完全に崩壊A日本の金融当局は〃護送船団方式〃を放棄。
日本の銀行は一営利企業として独自に生きる道を模索BCに代表される、ビッグバン以降の世界的な金融資本の日本への大々的な進出C持ち株会社解禁をベースとして、既存の業際は完全に消滅D金融資本を中心とした系列化のより一層の明確化Eコンピュータ化の進展のなかで、銀行不要時代の到来日本人が信じてきた「土地神話」と「銀行不沈神話」は完全に同じ次元にある。
戦前戦後を通じて日本に浸透したこの二つの神話は、世界に例を見ない特異なものである。
そして第一次大戦で壊滅的な打撃を被った当時の日本が復興していくにあたり、この二つの神話は日本人に大きな影響を与えてきた。
た。
それは「貯蓄と貿易」を通じて「日本国内で余剰資本を生み出す道」であった。
第二次世界大戦後の日本経済の奇跡は、一十世紀を通した日本の成長の過程で、第二次大戦の深刻な中断を差し引いた産物であり、結局は「計算きれた用意周到な計画」であったと言える。
しかしその深刻な中断を挟みながらも、この計画を実行に移すためには世界に例を見ない国家的な機構づくりが必要であった。
それが「土地の絶対的な価値」を中心にした8国家的な貯蓄機構であった。
その根幹をなす政策は次の四点である。
国民の貯蓄が向けられる先は米国が率先してやってきたように、土地保有(U一戸建ての持ち家)であるべきであった。
しかし戦後の日本がとった政策は担保付き融資関連の金儒教精神の徹底日本人の根底にあるのは「儒教的物の考え方」である。
簡単に言えば、日本国民は「額に汗して、コッコッ貯める」のを第一とする。
「真面目にそしてコッコッやれば必ず目的が達成される」。
この最終着地点にある〃目的〃とは「土地を保有すること」であった。
「耕す土地・収穫を得る土地を確保する」といった農耕民族の理念がその根幹にある。
日本人の根底には、土地保有をベースとした儒教の精神が大きく影響している。
この儒教の精神を徹底させることによって、日本的貯蓄は増進されていったのである。
融商品の開Tを抑えるものであり、税制に関しても不動産取得を奨励するものではなかった。
つまり日本国民の土地への崇拝・執着とはうらはらに、ほとんどの国民は「相当の頭金を現金で支払うだけの貯蓄」がなければ、住宅を取得することは不可能であった。
結果として個人所得から〃貯蓄のための貯蓄〃に向かう部分が増え、日本政府は資本資源を産業の発展のために、ふんだんに向けることができたのである。
「マル優」という貯蓄受入制度を採用してきた。
つまり形式さえ整えば無条件に、そして無制限に国民の貯蓄を受け入れてきたのである。
日本政府はこのような形式主義体制のなかで、日本の経済成長を支えてきたのである。
なかでも、郵便貯金U郵貯で集めた資金を選ばれた特定の産業やプロジェクトに供給する「財政投融資制度」はその最たるものであった。
郵貯という政府の意のままになる巨額の民間資金が存在したことは、日本政府の政策推進に非常に有益であった。
一九八七年までは郵貯に非課税(マル優)があり、その分租税収入が少なくなるといううらみはあったものの、政府の資金調達コストを考えた場合、郵貯を通じた方が資本市場から調達するより大幅に安かったのである。
結局、この郵貯という膨大な資金調達方法があったために、日本政府は戦略的な経済計画を実行する際には、銀行を中心とした民間の金融機関を利用しなくて済み、また財政赤字の補填という面においても郵貯と簡易保険は、日本政府当局に潤沢な資金供給をしてきたのである。
ただし、この調達コストを低く抑えるためには、金融当局による厳しい規制が必要であった。
在日外銀が自由に預金業務を行ない、日本の企業が海外で自由に預金ができたら、世界に冠たる「低い預金金利」戦後の日本の金融当局が最大の努力を払ったのは、いかに金利を低く抑えるかであった。
金利を低く抑えられれば、政府当局や企業は金利負担に悩むことなく、容易に資金調達が日本国民に低利を押し付け続けることは不可能であった。
そこで日本の金融当局は、日本の金融界と海外の金融界の交流を禁止したのである。
日本の金融当局が金利を管理し、海外市場を見て見ぬ振りをすることを強要し、日本の金融機関の業際を厳しく決めることで、日本の資金の海外流出を水際で塞きとめていたのである。
米国には銀行と証券会社の業際を明確にするためのグラススティーガル法があるが、戦後の日本においては「金融制度再建」の旗印のもとで証券取引法六十五条が設けられたのである。
つまりこの条文のもとで、銀行の業務は完全に特定されたのであった。
こうして規則を厳しくし業際を明確に分離することで、日本政府は国民に〃利率に競合がなく、不当に安い利息〃を支払い、大企業が単一の主力銀行に依存しなければならないように仕向け、さらには金融の多様化をも阻んできた。
結果として護送船団方式と呼ばれる鉄壁の金融メカニズムができあがることになる。
そのメカニズムが機能する限り、欧米の常識から見れば「借入額に対する自己資本の割合」が極端に低いレベルにありながら、日本の金融機関の倒産は考えられないような状況をつくってしまった。
それは日本人の土地崇拝を根幹に置いた「日本の銀行不沈神話」の誕生であった。
一九九七年五月から夏にかけて二万円前後を維持していた日経平均株価(東証平均株価)が突如七九○円の急落となり、一万九○○○円の大台を割り込んだのが八月十一日。
そして九月一日には一万八○○○円の大台を割り込む。
一旦は持ち直したものの、九月二十六日からは六日連続の下落となり、十月二日には四月十日以来半年振りに一万七四五五円まで下落した。
そして、ここで問題なのは東京株式市場の実態を反映しなくなった表面的な日経平均株価の下落よりも、東証の「単純平均株価」がバブル崩壊後最低の六六○円を記録したことであった。
こうした一連の流れが前述のブラックノベンバーにつながっていくのだが、問題なのは現在の日本の株価を論じるに際して、日経平均株価が目安にされることである。
なぜなら、日経平均株価には日本の株式市場の実態が反映されていないからである。
日経平均株価は東証一部上場企業一千三百一十社のうち、各業界から選んだ一百二十五社の株価にダウ式修正を加え、過去との連続性を持たせたものである。
ところが、その二百一十五銘柄のうち本当に値がついているのは、S、T、H技研、C、Kセラ、TDKなどの輸出企業と、アドバンテスト、東京E、ロームなどの半導体メーカーを中心にした三十五社程度。
外人買いが入るのも日本のPKOの集中買いが入るのも、この国際優良銘柄と言われる三十五銘柄であり、そのほかの企業は見向きもされないのが実態である。
三十五銘柄の平均価格は約五万六○○○円。
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